1949年 (昭和24年) 8月、当時杉浦睦夫が務めていたオリンパス光学工業の諏訪工場に東京大学分院の医師である宇治達郎氏が訪ねてきました。彼は胃の中を撮影できるカメラの開発を依頼しに来たのです。口から飲めるような小さなカメラを作れるのか、光のない胃の中で写真の撮影ができるか。そのような困難に果敢に挑戦した医者と技術者のコンビが胃カメラに発明につながりました。
- 杉浦睦夫「研究 Memo」(1949)
- 杉浦睦夫の講演記録 (1974/6/29)
- 胃カメラ学会発表 (1950/11/3)
- 当時の新聞記事
- 杉浦睦夫・宇治達郎らが書いた記事・論文
表彰
杉浦らはその後いくつかの賞を授与されました。
- 発明協会創立五十周年記念全国表彰 (昭和 29 年 – 1954 年)
- 吉川英治文化賞受賞 (平成 2 年 – 1990 年)
特許
胃カメラの最初の特許 (特公昭26-5221、PDF 135K、宇治先生のお名前が「守治」と間違って印刷されています)(US2,641,977, 1953, PDF 177K)
その後の杉浦睦夫
杉浦睦夫はその後オリンパスを退社して、1958年 (昭和33年) 光学分野の研究開発業務を専門とする株式会社杉浦研究所を創業しました。杉浦研究所の本社正面に掲げられた記念プレートには、彼の句、
「ガストロカメラと
名付けて闊歩す 暮れの街」 無縫
が彫られています。「無縫」とは彼の号です。